『羨ましい』という
気持ちの根底には
「自分には到底ムリ」だとか
「あの人は特別だから」といった
自身を卑下したり否定する
想いが隠れていたりします。
そもそもソコに意識がなければ
羨ましいとさえ思わないでしょう。
「ふ〜ん、そうなんだ。」
「それは素晴らしい。」
といった感じだと思います。
全くの別次元や他の世界ではないから
自分の心の琴線にふれて
「あんなことができて羨ましい」
「そんなふうじゃなくていいなぁ」
という気持ちが湧いてくるのでしょう。
自分の中にも相手の中にみる
羨ましい部分があるのだと思います。
「次は自分の番だ」と
広々とした心で
相手への祝福と
自分の前祝いも。
投稿者プロフィール
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長野県飯田市の心理相談室を拠点に近隣などへの訪問や、全世界でのオンラインでも、人生の苦楽を共にしながら、本当に望む幸せな人生創りをサポートさせていただいております。
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